落ち着いたのかしらね・・。
先週、母が亡くなった。けっこう闘病生活が長かったから、俺も「いつかはそういう日が来るだろうな」という覚悟はあった。

けど、実際目の当たりにした辛さは半端ないものだった。

いろんなことが頭をよぎった。

これまで親に迷惑ばかりかけてきたから、これからは親孝行しないとなんて思ってた矢先のことだったから、悔しかった。

一番の後悔は、教師になるって姿を見せることができなかったことだ。けどこれはかあちゃんと約束したことだから合格したら一番に報告しに行くつもりだ。そのために頑張らないといけない。

もう1週間が経過してる。そろそろ再始動しないとな。いつまでも凹んでては何も得られない。

俺、やるしかない。
前回、弟のバトル日記を書いたが、その弟さっそく変化が見られた。

あれだけフリーターでだらだらしてると思ったら昨日、とある会社に面接に行ってきたらしい。どうやら良い感触だったみたいで決まるかも、ということ。

んで、母親と3人で飯食いに行くと、プールのインストラクター時代の教え子がいた。当時小5だったのにもう高3・・・。早いもんだ。

んで、そいつは友達と母親と3人でいたのだが視線は俺でなく弟。

んで、発言は、「弟いくつ?」「弟はかっこいいね」「弟は彼女いるの?」


・・・俺に対するコメントなし。つうか教え子の母も、「弟さんウチの娘に紹介してよ」との有り様。

俺はこんなもんか・・・と現実を目の当たりにした瞬間でした。

なお、その際の格好は





弟・・・・面接後ということでスーツでビシッと。

俺・・・・ジャージ、ねぐせ、ひげ面、裸足にサンダル



You are lose……
12月8日・・・。

去年のこの日、じいちゃんが亡くなった。

あっという間の一年だったが、今でもその日のことは覚えている。


ちょっとだけその時の話を書こうと思う。

朝寝ているところに母親から電話がくる。

それだけで大方の意味は理解していたが、如何せん寝起きなので事態を把握するまでに時間がかかった。

そこから会社の責任者などに電話するが寝ているのか繋がらず、留守電にメッセージを残して病院へと向かう。

結構、病院に着くまでは冷静だったが、病室に入りその姿を見た瞬間、泣き崩れた。

おそらく、人生で初めて死と対峙した瞬間だったんだと思う。

医者からは2週間ぐらい前から危険だということを聞かされていたから覚悟はしてたはずなんだけど、涙は止まらなかったんだ。

んで、昼頃、遺体を乗せた車(たしかリンカーン 外車)は自宅へとむかった。

でも、このまま悲しみに暮れてても何も始まらない、いや、じいちゃんなら「仕事行って来い!!」って言うに決まってると思い、遅刻ながら会社へ出勤した。

そして帰るやいなや、そのまま現地へ直行。何事もなかったかのように営業(訪問販売)をする。

この日は、けっこう売れたんだ。まさかお客さんも、俺が家族を亡くした直後とは知る由もなかったはずだし、実際「お兄さんはニコニコしていて感じがいいねぇ〜〜」なんて言われるし。

でも、今考えても、あれはじいちゃんが売らせてくれたんだと思うよ。俺はその期待に答えたかっただけだもんなぁ・・・。たしかに頭の中でいろんなことが交錯していたから、「仕事」という状態で一時的に死について、忘れたかったのかもしれない。

会社に戻ってきても感心されたり労われたりしたが、俺は何もしていない。

すごいのは、そうさせた、じいちゃんなんだよ・・・。





なんて重い話なんだが、今日は天気も良く、絶好の墓参り日和だった。テレビではジョンレノンの命日だとか太平洋戦争の開戦日だとかやってたが、俺にとってはもっと大きな意味のある日なんだ。


まぁ、じいちゃん。これからもこの情緒不安定な孫を見守っててくださいよ。







多分、今年一番真面目に書いた日記だな・・・。
早いもので、じいちゃんが亡くなって一年が経とうとしている。

この一年、何度も言うように激動だったと振り返ってしまう。

でも、激動じゃない年なんてあるんかな?何もなかった、と言えるような一年ってあるのだろうか?

むしろ俺の激動は世の中から見れば大したことではなく、日常のありふれた情景なんだろうか?

そんな答えのないようなアホらしい疑問に悩まされながらいろいろ考えてしまった。

きっと悩まないことなんてないのだから多忙に思えたり激動のような気がするんだろうな・・・。もちろん


悩まされることはいつも煩悩であることは言うまでもない。
昨日に引き続き、この日も学校休んだ。体調不良が主な原因だが、正直言うと寝坊。起きるときの喉の激しい痛みと鼻の痛みと熱に学校行く気を奪われた・・・。

んで昼間母親と買い物(また)。どうやらかあちゃんの退院後、運転手のような感覚になっている。しかしこれも親孝行、ウサギのゲージやらを新調。金が飛ぶなぁ・・・。

んで歯医者、銀歯が完成したらしくまた金が・・・。やばい。

あとは大学時代4年間世話になっていたバイト先のカラオケ店(現在は弁当屋)が、今月いっぱいで閉店ということで挨拶がてら、弁当を買いに行く。大盛は予想していたが、それ以上の特盛りで俺と弟は食いすぎでダウン・・・。夜中まで食事いらなかった。

ここ1週間のまとめ。

すごく忙しかった(勉強以外のことだけ)

開始

2005年10月7日 家族・子育て
実家で自炊生活がもうすぐ二週間。
さすがに洗濯や炊飯は慣れた。まだちゃんとした料理は作れない。カレー食べたいな。店のとは違うあの『お袋の味』というやつ・・。

なんて愚痴っても仕方ない。今週は親父も5日間だけ戻ってきてお見舞いやら家事やらいろいろやってた。

多分治療とか本当に大変になるのはこれからなんだと思う。
今年の年末は忙しいかな?俺それでも勉強がんばらないと、自分のためにも親のためにも・・・いや、何かのため、というより『やるべくして、やる』当たり前じゃん。

今日はその再確認の日だな。

運命

2005年10月4日 家族・子育て
二つの事が同時に起こる

一、かあちゃんの病名判明

一、彼女と別れる

こんなこと同時に起こる男は、そういないだろう・・・

でも、これが俺の行く道

歴史は覆さない。たらればなんてない。あるのは目の前にある『事実』のみ。それを受け入れることが『歩み』

ふーん

2005年10月3日 家族・子育て
1週間、見舞いやらでけっこうハードだった。

この日は休みで15時間ぐらい寝た。最近寝不足だったため昏睡してたっぽい。夜はなぜだかいろいろ悩んでしまう。けっこうマイナス思考が強いのかもしれない。良くない傾向だ。

明日、家族で病院に行き、医師から検査結果と今後の治療について話を聞く。まぁ、長くなるにせよ完治してもらわなにゃ困る。

今日は親父も仙台から帰ってきた。久しぶりだった。明日は3人で飲みに行こうと思う。