12月8日・・・。

去年のこの日、じいちゃんが亡くなった。

あっという間の一年だったが、今でもその日のことは覚えている。


ちょっとだけその時の話を書こうと思う。

朝寝ているところに母親から電話がくる。

それだけで大方の意味は理解していたが、如何せん寝起きなので事態を把握するまでに時間がかかった。

そこから会社の責任者などに電話するが寝ているのか繋がらず、留守電にメッセージを残して病院へと向かう。

結構、病院に着くまでは冷静だったが、病室に入りその姿を見た瞬間、泣き崩れた。

おそらく、人生で初めて死と対峙した瞬間だったんだと思う。

医者からは2週間ぐらい前から危険だということを聞かされていたから覚悟はしてたはずなんだけど、涙は止まらなかったんだ。

んで、昼頃、遺体を乗せた車(たしかリンカーン 外車)は自宅へとむかった。

でも、このまま悲しみに暮れてても何も始まらない、いや、じいちゃんなら「仕事行って来い!!」って言うに決まってると思い、遅刻ながら会社へ出勤した。

そして帰るやいなや、そのまま現地へ直行。何事もなかったかのように営業(訪問販売)をする。

この日は、けっこう売れたんだ。まさかお客さんも、俺が家族を亡くした直後とは知る由もなかったはずだし、実際「お兄さんはニコニコしていて感じがいいねぇ〜〜」なんて言われるし。

でも、今考えても、あれはじいちゃんが売らせてくれたんだと思うよ。俺はその期待に答えたかっただけだもんなぁ・・・。たしかに頭の中でいろんなことが交錯していたから、「仕事」という状態で一時的に死について、忘れたかったのかもしれない。

会社に戻ってきても感心されたり労われたりしたが、俺は何もしていない。

すごいのは、そうさせた、じいちゃんなんだよ・・・。





なんて重い話なんだが、今日は天気も良く、絶好の墓参り日和だった。テレビではジョンレノンの命日だとか太平洋戦争の開戦日だとかやってたが、俺にとってはもっと大きな意味のある日なんだ。


まぁ、じいちゃん。これからもこの情緒不安定な孫を見守っててくださいよ。







多分、今年一番真面目に書いた日記だな・・・。

コメント

nophoto
まるさん
2005年12月9日15:47

ある程度の年齢までいくと周りの人が段々と亡くなっていって悲しいし、考えさせられることが多い。俺も会社にいたころ、会社でかわいがってくれた上司が交通事故で亡くなり、翌年にはブルーノートのマスターが亡くなり、かなり落ち込みました。

でも、うちの母方の祖母は96歳という年齢にも関わらず、凄い明るく元気です。きっといろいろと悲しいことやつらいことを俺たち以上に経験してきているに違いないのに・・・俺も祖母を見習ってがんばっていこうと、このごろ本当にそう思います。

ひですけ
ひですけ
2005年12月9日22:12

まるさん>
自分も年をとることの重みを少し感じた一日でした。人の死はいろいろなことを考えさえてくれるものなのですね・・・。
悲しみを背負いながらも表にださず、明るいおばあさんは素敵ですね。俺も見習わないといかんとです。