昨日、今日は教員免許取得に必要な介護体験実習だった。

朝早くから電車とバスを乗り継ぎ、某養護学校へ行く。

俺は介護とか障害者と接する機会がほとんどなかったため、最初は不安でたまらなかった。

今回行った学校は知的障害の生徒しかいないので車椅子とか盲目だとか難しい問題はなかった。

先生は一人で2,3人の生徒を見る感じで俺はその手伝い、つうか何も指示はなく任されっきりでかなり自由にできたのである。

最初はどうにか生徒を理解しようといろいろと補助したり手助けしたりして、あっという間に一日が終わった。

かなり満足げに帰ったが、二日目に俺はもっと欲を出してしまった。しかし、そのことが今回の一番の収穫なのかもしれない。

一日目は生徒を知る、というより一日中一緒に過ごして終わってしまったので、生徒の要望には何でも答えようと思ってた。例えば、トイレも一緒に付き添ったり、着替えも手伝ったりと、本人からすれば何でも聞いてくれる、いわば『何でも屋』さん状態だったのである。

それは生徒のためになるのか・・・?   否

相手も人間、善い悪いの区別や、社会に出るために自分のできることは自分でやらせる、その手助けこそが介護なんだろうと実感した。

この日の午後、みんなで近くのスーパーに行き、頼まれたものを買い物をする授業をした。みんな必死に自分の買うべく物を探し上手く喋れる訳でもないが店員に尋ねたり、レジまで行ったりと、本当一生懸命でした。

帰り道、買い物の袋が重たくて、生徒は『持って』とせがんできた ここで俺が持てば、こいつはずっと頼ってしまう、俺は先生の許可なしに独断でその生徒を叱った。『君が、買ってきたものだ、他の子はみんな自分で運んでるでしょ?一人だけ楽していいの?がんばろうよ。』というよいうな内容で本人にできるだけ分かりやすく伝えた。

すると本人は・・・なんと最後までちゃんとできたのである!!
俺は感動した。ちゃんと伝わった。本当よかった。

実習終了際に担当の先生と話せる時間があって、午後の話をしたら、先生も『彼らは喋れないし、できないことも多い。でも同じ人なんだ。あれもこれもとやったら、彼らは何も努力しないで生きることになる。それでいいのか。だから自分でできることはやらせるし、できるように努力する。それが習慣になりできることを増やしていけば社会に出るとき、役に立つはず。』なんて話をされた。

すごい。俺、間違ってなかった。

この根底にあるのは教育。障害児だからとか関係なく、『生きる』ことに努力しない人間なんていない、つうか意味ない。みんなお金だの、仕事だの、何かしらに必死になり生きてるはず。教育はそのための手助け、【導き】的な役目だと思う。これは中学校だろうが高校だろうが養護学校だろうが変わらない。そう、俺は当初、『養護だから特別』という先入観でそんな大事なことに気づかなかったのである。

でもまったく一緒なんだ。要は相手を認めること、尊重すること。お互いの理解から始まるんだよ。それを体験できた本当に貴重な二日間でした。

生徒は俺が帰る時に手紙をくれた。ありがとうという字と俺の似顔絵がかいてあった。俺の似顔絵、とてもいい笑顔だった。
ありがとうね。

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